松山地方裁判所 平成4年(わ)60号 判決 1993年11月10日
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成四年二月一日午後八時ころ、松山市一番町三丁目二番地一所在の松山全日空ホテル九二四号室内において、甲に対し、麻薬であるコカイン塩酸塩約2.8グラム(訴因変更後は約1.5グラム)を無償で譲り渡したものである。」とするものである。
右訴因変更の理由は、甲が、被告人から譲り受けたコカインの量について、それを所持していた瓶に移し替えた際、瓶の底から三五ミリメートルの位置まであったと供述しているところ、鑑定人K作成の鑑定書によれば、コカインを瓶の底から三五ミリメートルの位置まで詰めた場合、その量は、少なくとも2.494グラムであり、本件コカインの純度が62.4パーセントであるから、結局、純粋の塩酸コカインは1.556グラムとなることから、それを踏まえて本件コカイン塩酸塩のグラム数を約1.5グラムと変更したことにある。
なお、以下「本件コカイン」とは、特に断らない限り、甲が所持していた、あるいは、公訴事実において、甲が被告人から譲り受けたとされているコカインをいい(よって、いわゆる混ぜ物なども含まれる。)、混ぜ物のない純粋のコカインをいう場合には、「純粋コカイン」ということとする。<証拠省略>
二 本件事案の概要等
まず、<証拠略>によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人と甲の関係
昭和五二年ころ、当時中学生であった被告人は、当時愛知大学の大学院生であった甲に二年間家庭教師をしてもらった。その後、被告人は、埼玉県内の私立高校に進学したが一年生のとき中退し、東京都内の別の私立高校に転校したが、ここも中退し、昭和五七年末ころダンサーをめざしてニューヨークに行き、そこでダンスの勉強をしたり、音楽関係の仕事をするなどしており、昭和六三年にはニューヨークに音楽関係の会社を設立し、また、平成三年八月からは関連会社の会社員として東京都内で音楽関係の仕事もしている。被告人は、仕事の関係で、東京とニューヨークその他の海外を頻繁に行き来する生活をしている。
他方、甲は、大学院を出た後は、愛知県内で学校教諭をして生活をしていた。
また、甲は、昭和五七年四月二五日に結婚する際、被告人の両親にその仲人をしてもらったことなどから豊橋市内の<被告人>家に盆暮れなどには挨拶に伺うなどしていた。これに対し、被告人本人に対しては、被告人がほとんど愛知県内にはいないこともあって、被告人が豊橋に帰省した際に、被告人から甲に連絡を取って会う程度であり、その回数は多いときで年に三回ぐらい、少ないときは全く会わない年もあり、平均すれば、年に一、二度といったものであった。また、手紙のやりとりはこれまで一、二度しかなかった。
なお、昭和五八年の夏、甲が旅行でニューヨークを訪れた際、被告人と甲は一緒にコカイン等の薬物を使用した。
2 被告人と甲の本件前後の行動について
被告人の妹の結婚式・披露宴が平成四年二月一日に松山市の全日空ホテルで行われることから、被告人は同年一月三一日に松山に来た。また、招待を受けた甲も披露宴当日の同年二月一日に松山に来た。披露宴は午後五時頃から行われ、午後七時三〇分ころ終了した。
披露宴の後、男性出席者の着替えのための部屋として用意されていた同ホテルの九二四号室において、先に着替えを終えた甲は、同所で、当日の宿泊先である松山市道後の大和屋別荘に被告人と共に行こうと思い被告人を待ち、後で被告人が来たことから、同室内で、甲と被告人が二人きりになったことがあった。なお、二人きりになった時刻は、同日の午後七時三〇分頃から午後九時四六分(同室のチェックアウトタイム)の間の約一〇分ぐらいである。
その後、甲と被告人は、一緒に松山市道後の旅館大和屋別荘に向かい、同旅館の桔梗の間に二人で泊まり、翌二日は、甲と被告人らは、松山市内を見学後、松山空港に向かった。被告人は、同日午後三時一〇分発の東京行きの飛行機で帰った。
3 本件発覚の端緒
同日、大阪行きの飛行機に搭乗しようとした甲は、同空港係員によって所持していた瓶入りの本件コカイン白色粉末約2.25グラム(<押収番号略>は鑑定後の残量)を発見され、緊急逮捕された。右瓶が入れられていたがま口の中には他に、ヴィックスインヘラー一個(これは覚せい剤の成分が含まれているため日本への持ち込みが禁じられている鼻薬である。)、金属性耳かき一本等が入っていた。
甲は、本件コカインの入手先について、同月四日(勾留された日)には、本件コカインは深夜、道後温泉そばの路上で拾ったものであると供述していたが、勾留後の同月八日に到り、本件コカインは全日空ホテルの九二四号室において、被告人から無償で譲り受けたものであると供述した。そのため、被告人は、同月一三日、通常逮捕された。被告人は一貫して本件犯行を否認している。
三 甲供述の検討
甲供述は、概略、本件コカインは、二月一日午後七時か八時ころ、全日空ホテルの九二四号室で、被告人から譲り受けたものである。厚手の紙で縦二センチ、横3.5センチの長方形の包みを投げ渡された。その場で中身を確認したと思うがよく覚えていない。被告人が使用したかは見ていないので分からない。大和屋別荘では、慰労会の後風呂に入り部屋に戻ると被告人は寝ていた。持ってたコカインを出してなめ、残りを家から持ってきた瓶に移しかえた。コカインは瓶の底から約3.5センチぐらいのところまであった。その瓶は家に置いておくと、家族の者が見つけると思って持ってきたものである。コカインは瓶に全部入らず、少し余ったのでその場でなめて使った。大和屋別荘で被告人がコカインを使ったかはよく分からないが、見てはいない。この他、翌日、空港のトイレでなめて使ったというものであり、その他、甲供述では、本件以外にも、被告人から日本で三回コカインを譲り受けたことがあることや、ニューヨークにいる被告人にコカインを送ってくれと頼んだようなことはなく、被告人以外の者からコカインを譲り受けたこともないことが述べられている。
これに対し、被告人は、全日空ホテル九二四号室に、着替えのために行き、そこで甲と一緒になったことはあるが、その時コカインを渡したことはなく、また、昭和五八年に甲がニューヨークに来た際、コカイン等の入手を頼まれて手伝ったことはあるが、日本で甲にコカインを渡したことは一度もない。これまで甲からコカイン等を送ってくれるよう何回も頼まれたが、実際に送ったことは一度もない。甲は、他からコカイン等の薬物を送ってもらっていたようである旨供述し、弁護人らは、右被告人の供述を受け、本件コカインは、甲が自ら松山に持ち込んだものであると主張する。
ところで、本件で問題とされている公訴事実は、被告人と甲の二人しかいないホテルの室内での譲り渡しであって他に目撃者など第三者の供述が得られる可能性がない上、その行為も数グラムのコカインを渡すという極めて単純な行為であることからすると、作為的な供述をすること自体はさほど困難なこととはいえないから、甲の室内でのコカインの譲り渡しの状況に関する供述がそれなりに具体的であるからといって安易にその信用性を認めるべきではなく、甲供述の信用性の判断にあたっては、甲供述に不自然な点はないか、甲供述の重要な点に変遷はないか、また、甲供述は本件の他にも被告人からコカインと思われるものを三度日本でもらった旨供述しているところ、果たしてそのような事実を認定できるか、甲のコカイン等の薬物への親和性ないし同人が被告人以外からコカイン等の薬物を手に入れる可能性があるか、甲が虚偽の供述をして被告人を罪に陥れる可能性があるのか等の諸点から慎重に検討していくことが必要である。
以下、これらの諸点から甲供述の信用性を検討していくこととする。
1 甲供述における不自然な点について
甲供述については、以下のように不自然な点があるものと言える。
(一) まず、甲が瓶を松山まで持ってきていることについて
本件瓶を松山に持ってきた理由について、甲供述は、瓶にはコカインが多少こびりついて入っていたため、家に置いておくと、家族の者が見つけると思って持ってきたのであり、これが「最大の理由」であるとする。また、これまでの経緯からして今回も被告人からコカインを貰える可能性があることも理由としては「間違いじゃない」として理由に付け加えている。
そこで、まず、前者の理由について検討するに、本件瓶は、普段は物置として利用されて、かつ、甲しか使わない二階(<証拠説明略>)の段ボール箱の中に隠していたというのであり、しかも、甲の松山への外出はわずか一泊にすぎないものであることからすると、右期間中に本件瓶が家族によって見つけられる可能性はさほどあるとは思われないのであって右の理由は不自然であり、むしろ、家族に見つかることを恐れて、自宅にあった本件瓶をわざわざ松山に持ってきたとする供述は、本件瓶の中に既にコカインが入っていたからではないかとの疑いと結び付きうるものであると言える。
また、右の理由は公判段階において、始めて出てきた供述でもある。すなわち、甲の捜査段階の供述調書には、瓶にコカインが付着していたなどという供述はなく、この点、証人F(前記甲の各供述調書を録取した警察官)の当公判廷における供述においても、甲は、本件瓶について、ひょっとしたら自分のために持ってきてくれるかも分からんと。そういう意味あいで持ってきた。奥さん等にみつかったらいけないからという供述はしていない。瓶は空の瓶といっていた。何もついていない旨供述していたと述べている。
さらに、後者の理由、すなわち、これまで被告人からコカインを貰ったことがあるので今回も被告人からコカインを貰える可能性があることから、本件瓶を持ってきたとする理由についてみるに、仮に被告人からコカインを貰える可能性があるとしても、それを予期してわざわざ貰ったコカインを移し替えるための瓶まで持参するというのはあまりにも大仰であると言える。また、コカインは紙包みなりビニール袋に入れて渡されるのが普通であろうから、移し替えるための瓶を用意することが必要であるとも思えない。さらに、後述するとおり、これまで被告人からコカインを貰ったとする事実も信用しがたい。
そうすると、この理由も不自然である。
(二) 次に、本件コカインに関する会話が、被告人と甲の間に交わされていないことについて
甲供述によれば、被告人と甲は一〇数年間にわたる知り合いであり、これまでも三度にわたりコカインを譲り渡された仲であり、かつ、本件の譲渡の際、部屋には二人だけしかいないにもかかわらず、被告人は甲に対し、特に会話らしい会話もなく突然に紙の包みを投げ渡しており、さらに、被告人と甲は、その後、一緒に宿泊場所である大和屋別荘に移動し、その夜は二人で同じ部屋で宿泊し、翌日も一緒に行動し、その間、大和屋別荘では甲は被告人から譲り受けたコカインを使用しているにもかかわらず、両人の間には、本件コカインの譲り渡しがあったことを前提とする会話、例えば、甲が「さっきはありがとう。」とか「いつも悪いね。」とか、「夕べあれをやってみたけどよく効いたよ。」と言ったり、被告人が「先生、あれ使ってみましたか。」と言うなどの会話が交わされた形跡が一切ないことも不自然である。
(三) さらに、甲が被告人からコカインをそれも無償で譲り受ける理由があるのかについて
甲供述によると、甲は被告人にコカインを送ってくれるように頼んだことは一度もなく、また、被告人から本件以外にも三度にわたり日本国内においてコカインを譲り受けたことがあるが、これについても事前に自分から頼んだことはないとする。また、本件コカインは無償で譲ってもらったものであり、これまでの三度にわたるコカインもすべて貰ったものであるとしている。
しかしながら、甲と被告人とは長年の付き合いになるとはいえ、それを親しいと評価するか否かはともかく、両名の具体的な付き合いの内容は前記のとおりであり、被告人はかつて甲に家庭教師をしてもらったことがあるもののそれは本件を基準として一〇数年も前のことであり、その後については、被告人は甲に世話になったというような関係は特になく、会うことも年に一、二度であったというのにすぎない。
さらに、コカインは、<証拠略>によれば、アメリカでは一グラム一〇〇ドルから一五〇ドル、日本では一グラム五万円から一〇万円程度はするものであり、<証拠略>によれば、アメリカでは一グラム七五ドルから一二五ドルであり、また、<証拠略>にはクラック(コカイン塩酸塩に重曹などを加えて、科学的処理を施して得られるコカイン塩基)についてであるが、約0.1グラムが二〇ドル前後とするとされていることからも明らかなように、相当程度高価なものと思われる。
そうすると、被告人が、このようなものを、年に一、二度しか会わず、特に世話になっているわけでもない甲に対し、甲から薬物の入手を依頼されているのであればともかく、頼まれもしないのに、これを用意して何回も無償で与える理由があると言えるのか疑問なしとはしない。
また、甲と被告人本人とではなく、甲と被告人の家族との関係を見ても、被告人の両親において、甲の仲人をするなどしている関係で甲から感謝を受けることはあるとしても、逆に、甲が被告人の家族に対して世話をしたり何らかの便宜をはかるといった関係は見出せないので、被告人が甲に対し、被告人の家族が甲に世話になっているお礼としてコカインを渡すということも考えがたい。
(四) 甲のコカインの使用量は甲のコカインの使用歴に照らした場合、あまりにも多すぎないかについて
甲は、被告人から譲り受けたコカインについて、全日空ホテルでなめたかどうかははっきりしない。大和屋別荘においては、コカインをなめてみてそれから家から持ってきた瓶にコカインを移し替えた。一杯に入れると、少し余ったので残りはまたなめた。入れて余った量は、耳かきに一杯か二杯。瓶に一杯というのは、瓶の底から3.5センチくらいの部分に一杯ということである。逮捕時の量が2.25グラムであることや、コカインがオンスという単位で量ることからすると、本件譲受量は約2.8グラムである旨供述する。
そうすると、甲は、二月一日本件コカインを譲り受けてから翌日逮捕されるまでの間に約0.55グラムもの本件コカイン(K鑑定によると、本件コカインの純度は62.4パーセントであるから純粋コカインの量は0.55グラム×62.4パーセント=0.3432グラム)を使用したことになる(甲は、被告人の本件コカインの使用の可能性を完全に否定しているわけではないが、少なくとも被告人が使用したところは見ていないことは認めている。)。
また、K鑑定によると、瓶に残っていた本件コカインの量は2.177グラムであり、うち純粋コカインの比率は62.4パーセント、重量にして1.358グラムであること、瓶に内底から3.5センチまで入れた本件コカインのグラム数は2.494グラムから3.813グラムで、この数値に純度を掛けて換算すると純粋コカインは1.556グラムから2.379グラムであることが認められ、そうするとK鑑定を基にして計算した場合、甲の純粋コカインの使用量は少なく見積もっても1.556グラムから1.358グラムを引いた0.198グラムとなる。
しかしながら、<証拠略>においてはコカインの極量一回五〇ミリグラム、一日0.1グラム、<証拠略>においてはコカインの一回の使用量は二〇〜三〇ミリグラム、<証拠略>においてはクラックの一回当たりの使用量は約0.025グラムであるとされていることからすると、甲の摂取した本件コカイン量は、通常のコカインの使用量をはるかに超えた極めて多量のものであると言える。
また、付言すると、甲供述は、本件以外の三回のコカインの使用についても、一グラムを四、五回で使ったとか、0.7グラムを二、三回で使ったとかいうのであって、コカインにいわゆる混ぜ物がありうることを考慮に入れたとしても、やはり一回あたりの使用量としては著しく多くの量を供述する。
そして、自己のコカインの使用量について虚偽に実際より多い量を言う理由ないし必要性は考えがたいことからすると、少なくとも甲のコカインの使用量がおおよそ同人の供述程度のものであることは一応信用してよいものと思われる。甲のコカインの使用量が、その供述どおりとするならば、右量はコカインの常習性を推認させるに足りるものと言える。
しかしながら、甲供述によると、甲は被告人以外からコカインを譲り受けたことはなく、被告人から譲り受けたのは三回だけであるというのであるから、その程度の使用歴と甲のコカインの極めて多量の使用量とは整合せず不自然である。
なお、<証拠略>によれば、平成四年二月二日午後一〇時ころ、甲から採取した尿に、コカイン及びその代謝物の含有を認めないとされている。
しかしながら、コカインは容易に加水分解を受けて、ベンゾイルエクゴニンやエクゴニンメチルエステルになるために、未変化体が尿で検出されることは少なく、また、コカインの代謝物として、通常容易に確認できるのは、ベンゾイルエクゴニンのみであるところ(<証拠番号略>)、証人Sの当公判廷における供述によれば、右鑑定においては、代謝物として検査したのは、コカエチレンとノルコカインだけで、ベンゾイルエクゴニンについてはそのスペクトラムが無かったとの理由で検査を行っていないことが認められる。したがって、右鑑定は必ずしも甲の松山におけるコカイン使用を否定するものではない。また、甲が松山でコカインを使用した事実が全くないのにこれをあるものとして虚偽の供述をする理由も見出せない。よって、甲が松山においてコカインを使用した事実はこれを認めて差し支えないものと考える(なお、甲の松山におけるコカインの使用は、甲が被告人からコカインを譲り受けたとする事実とも、甲が自ら松山にコカインを持ってきたとする事実とも結びつきうるものであることはいうまでもない。)。
2 甲供述の変遷について
甲供述は、捜査段階の同人の供述と比べ、本件コカインの譲り受け前後の状況などについていくつかの変遷が存する(なお、ここで検討される甲の捜査段階の供述調書①ないし④は、いずれも刑事訴訟法三二八条によって採用されたものである。)。
甲の捜査段階の供述調書中、供述の変遷に関する検討に必要な部分は、以下のようなものである。
① 司法警察員に対する平成四年二月八日付け供述調書(写)(<証拠番号略>)
「私が、今回所持していたコカインは、平成四年二月一日、松山市一番町の全日空ホテルで、私のよく知っている東京都世田谷区弦巻、<被告人>二七才から、無料でもらったコカインで、二人で使った残りであるのに間違いありません。私が貰ったのはコカインだと知って貰っており、被告人と私の二人で使った品物でもあるのです。(中略)。
披露宴も終わり、私は、被告人家が用意した全日空ホテル内の客室で、被告人と二人きりになった時、期待どおり同人から「ホイッ」と言って、紙包みを手渡してくれたのです。
その紙包みは、広告の少し厚手の紙であり、医者でくれる薬包み状であり、私は被告人に確認しないまでも、それがコカインであるのはすぐ判りましたので、「サンキュー」と言って受け取り、包みを開けると経験のあるコカインに間違いのない白色粉末でしたので、持って来ていた透明のビンの中に移し変えたところ、ビンの首のくびれた所まで一杯あり、まだ、若干、紙包みに残りましたので、その場において、残ったのを、二月一日午後一〇時ころ、被告人は鼻で吸引、私はなめて使い、紙包みは捨て、コカインの一杯入ったビンは私が持って宿泊先である松山市道後、大和屋別荘へ他の親族らと一緒に行ったのです。私は被告人と同じ部屋で二人で泊ることにして貰っており、二月二日の午前〇時ころ、宿泊している部屋で再び同じ要領で二人がビンからコカインを取り出し使ったのです。
そして、その日、市内観光をして、残ったコカインは、私が貰い受けた物として、私が持ち、被告人は、私とは別に、二月二日の午後三時すぎの東京行きの飛行機便で帰り、私は、被告人の両親と(中略)一緒に大阪まで帰ることにして松山空港まで行きましたが、二月二日午後三時ころ、コカインを使いたくなり、私一人だけで空港の便所に入り、ビンから若干量を手の掌にのせ、指で押さえてコカインを舌でなめ使いビンのふたをして元通り黒色のガマ口に入れて(以下、省略)。」
② 司法警察員に対する平成四年二月八日付け供述調書(写)(<証拠番号略>)
「私が持っていたコカインはその前日、同年二月一日午後八時ころ、松山全日空ホテル九二六号室において被告人二七才から無償で譲り受けたコカインであり私達二人が施用して残った品物に間違いないので、譲り受けた状況を話します。(中略)。
披露宴も終り、私と被告人は被告人が部屋をとっていた全日空ホテル九階の客室に行って話をしていました。二人きりになった午後八時ころ、客室の中で被告人は私に対し「ホイッ」と言って一つの紙包みを手渡してくれたのです。手渡してくれた紙包みというのは広告か何かの少し厚手の紙であり、薬包状で包んであり、中味を見たり聞かなくても、この中にコカインが入っているのは判ったのです。広げてみると案の上、白色粉末であり、量はこれまでの最高入っていたのです。それで、私は被告人に「サンキュー」と礼を言い、本人の目の前で私が持って来ていた透明ガラスビンを出し、こぼれない様白色粉末を入れたところ、ビンに満杯の、首のくびれた所まで入りまだ若干入りきれない粉末が残ったので、その残ったのを被告人と二人で使ったのですが、それまで経験したコカインと同じ効果の、酒に酔った様な良い気分になり、眠れなくなる様な目が冴えた感じがしたので、本物のコカインだと判りました。その後は別に話したとおり、二月一日午前〇時ころ、大和屋別荘で被告人と二人で施用、二月二日午後三時ころ、私一人で空港の便所で施用しており、発見されたのです。」
③ 検察官に対する平成四年二月一二日付け供述調書(写)(<証拠番号略>)
「今回私が所持していたコカインについては、逮捕された前日の一日午後八時ころ、結婚式の行われた直後に、全日空ホテルの客室内で、被告人から、無償で譲り受け、私と被告人で何回か施用した残りであり、私の物に間違いありません。(中略)。
そして、披露宴も無事終了し、全日空ホテルの九階の客室で、他の出席者を送り出した後に、私と被告人が、着替えをしていた際に、被告人が、ほい、これ。などと言って、私に紙包みを一つ投げるようにして、渡してくれたのです。その外側の紙自体は、広告紙か何かの比較的厚手の紙で、一〇センチないし一二センチ四方位の大きさでしたが、その中に、白色粉末が入っておりました。その紙の包み方は、紙を袋状にして、四角く粉末を包んでありました。この時、特段、被告人からは、それがコカインであるとの説明はありませんでしたが、それまでの経緯から、私にもそれがコカインであることが分かりました。被告人から、このコカインをもらった時の時間は、午後八時ころだったのではないかと思います。
私は、それを黙ってそれを受け取り、室内のテーブル上で、透明びんにコカインを移し替えたのですが、びんに全部入りきれず、若干残ったので、その場で被告人と二人で、分けて施用しました。この時も、被告人は鼻から吸引しましたが、私は舌でなめて、それぞれ施用しました。舌でなめた後、酒に酔ったようになり、目がさえて眠れなくなりましたので、それまでの経験上コカインであることが分かりました。全日空ホテルの客室内で、被告人からコカイン入りの紙包みを受け取り、被告人と二人で施用したことは間違いないのですが、びんに移し替えたのは、あるいは、その日宿泊した大和屋別荘の客室内だったのかもしれません。
その後、私は、その翌日の二日午後三時過ぎころだったと思いますが、飛行機の搭乗手続き待ちの時間に、松山空港のトイレで、コカイン若干量を一人でなめて、施用しております。今回逮捕された時に所持していたコカインは、この残りの物です。(以下、省略)。」
④ 司法警察員に対する平成四年二月二七日付け供述調書(写)(<証拠番号略>)
「私はこの大和屋別荘の二階客室で被告人から貰ったコカインをビンに移し変え、なめて施用したのも、本当のことです。(中略)。
大和屋では被告人がコカインを吸引していたのを現認していませんが、本人の言動や行動からしてコカインを吸引したのに間違いないのです。(以下、省略)。」
そこで、甲供述と同人の捜査段階の供述調書との変遷について検討していくこととする。
(一) 被告人のコカインの使用の有無について
甲供述では、被告人の本件コカインの使用について、「(全日空ホテルでは)、多分しなかったんじゃないかなと思うんですけれども、そうじゃないかな、分かりません、はっきり。(大和屋別荘では)、使ったのを見たことはないので分からないんですけれども、使ったかもしれないし、使わなかったかもしれない。」と供述している。
しかしながら、甲は右①②においては、全日空ホテルでは、被告人が鼻で吸引、甲はなめて使い、二月二日の午前〇時ころ、大和屋別荘でも同じ要領で被告人と二人で施用したとし、③でも、本件コカインは、私と被告人で何回か施用した残りであり、全日空ホテルでは、甲がなめて、被告人は鼻で吸ったとして、コカインの使用方法についても具体的な供述をしている。
この供述の変遷理由については、甲は、当公判廷において、捜査段階で全日空ホテル九二四号室で二人で使ったと述べていることについて尋ねられると、「覚えていません。そんなことはないと思います。」と述べ、単純に捜査段階の供述を否定したり、あるいは、
「弁護人 問 余った分を被告人と二人で分けて使ったという供述をしたことはありませんか。
甲 答 ……わからんな……。
問 今質問したようなことをあなたは警察に言ったことないですか。
答 あるかもしれません。
問 そういう事実があったわけですか。
答 ないと思います。
問 ないのに言ったかもしれないというのは、どうしてですか。
答 ……とにかく被告人のやったのを見ただろう、見ただろうというようなことを何回もいわれたりしましたので……。」
として、捜査官から被告人の使用についての事実を認めるように強要されたかのごとき供述をしている。
仮に、このような強要の事実があったとすれば、この点についての変遷の理由についてはそれなりに納得のいく説明が得られるわけではあるが、反面、そうであるとすれば、甲は、被告人のコカインの使用というそれ自体が犯罪を構成する重大な事実について捜査官の追及に対し迎合的な供述をしたことになるのであって、ひいては、本件コカインは被告人から譲り受けたとする点も、捜査官に対し、迎合的な供述をしたのではないかとの疑いをいれる余地を生じさせることになる(捜査官は、甲が被告人の名前を出す平成四年二月八日以前の同月五日の時点で、甲のビザ発行の有無及び海外渡航状況について法務省入国管理局に照会をするに際し、同時に被告人のそれについても照会を発していることからすると(<証拠略>)、同月の五日の時点で、被告人を少なくとも考えうる譲り渡し人の一人として捉えていた可能性は否定できない。)。
また、このような強要の事実がないとすれば、甲のこの点に関する供述の変遷については何ら説明がつかない。
(二) 本件コカインを紙包みから、持参していた瓶に移し替えた場所について甲供述及び右④は、その場所を大和屋別荘であるとしている。
しかしながら、右①②においては、本件コカインを譲り受けた全日空ホテル九二四号室において、コカインを瓶に移し替えたとしている。また、③はその場所を同室と述べながらも、瓶に移し替えたのはあるいはその日宿泊した大和屋別荘の客室内だったかもしれない旨供述している。
そして、甲は、当公判廷において、捜査段階でコカインを瓶に移した場所を全日空ホテルと供述したことについても、(一)と同様、「覚えていません。そんなことはないと思います。」と述べ、変遷の理由について述べていない。
(三) 本件コカインが入っていた紙包みの形状について
甲供述では紙包みの状況を具体的に折って示し、包んである大きさは縦約2.5センチメートル、横3.5センチメートルとする。
しかしながら、右①②においては、被告人が渡した紙包みは広告様か何かの少し厚手の紙であり薬包状であったとし、③では広告紙か何かの比較的厚手の紙で一〇センチないし一二センチ四方くらいの大きさ、包み方は紙を袋状にして、四角く粉末を包んであったと異なる供述をしている。
この点についても、甲は、当公判廷で、捜査段階で薬包紙のような状態であったとは話していませんと供述している。
ところで、人間の記憶には、記憶違いが入ることはままあることであるから、供述に変遷があることをもって直ちにその供述の信用性が否定されるものではないことはいうまでもないところであるが、犯行の基本的でかつ記憶違いが考えがたい部分において供述の変遷が存する場合には、変遷の理由について合理的な説明がつく場合は別として、一般的には当該供述の信用性は低いものと判断すべきであると言えよう。
そこで、前記の変遷部分を見るに、被告人から譲り受けたコカインをその場ないし引き続いて被告人とともに行った場所において被告人が使用したか否か、受け取ったコカインをどこで瓶に移し替えたか、コカインをどういう形状で譲り受けたか等の点は、本件コカインの譲渡と内容的に密接に関連する基本的部分であると言える。そして、甲は本件コカインの譲り渡しがあったとされる日の翌日には逮捕されている上、甲が被告人について供述したその供述時期は①②が二月八日であり、③が二月一二日であり、いずれも甲が被告人から本件コカインを入手したという日からわずか一週間ないし一一日しか経ていないもので、記憶が鮮明な時期であること、甲はもしかしたら被告人からコカインを貰えるかもしれないとの気持ちもあったというのであるから、本件コカインの譲り受けは甲にとって予期していた出来事であること、全日空ホテルと大和屋別荘は部屋の造りが違うことからして場所の勘違いをする余地があるとは思われがたいことなどからすると、右に指摘したような点については、真実、被告人から本件コカインを譲り受けたのであれば、記憶違いが入る余地はまずないものと思われる。それにもかかわらず、甲のこれらの供述が変遷し、かつ変遷の理由についても、甲は、単に覚えていない、言った覚えはないとするのみで、何ら納得のいく説明をしないまま、容易に前言を翻していることが認められるのであって、これらの事実に変遷が生じていることは、その供述内容が果たして供述者である甲が現実に体験したことか否かについて疑問を抱かせるものと言わざるを得ない。
3 甲供述は、本件の他にも被告人からコカインと思われるものを三度、日本でもらった旨供述しているところ、そのような事実を認定できるか
(一) 一回目の譲り渡しについて
(1) 甲供述によると、日本における被告人からの一回目の譲り渡しは、二、三年ほど前のことではっきりしないが、平成二年か三年の冬二月の終わりごろ、二〇日前後か二〇日過ぎぐらいのことであったとする。しかしながら、その際の状況について述べるところは以下のようなものである。
「検察官 問 どういうことから、そのコカインをもらうことになったわけですか。
甲 答 どういうことからもらうことになったのか、覚えてません。なんか、いいものがあるというようなことだったんじゃないかなと、よく分かりません。
問 被告人や被告人の家族と、マージャンをやった後のことだったのと違いますか。
答 前にはそういうふうにお話ししたんですが、した覚えがありますが、それはよく分かりません。
問 場所は、どこだったか覚えていますか。
答 それも部屋でもらったというふうにお話ししたんですが、よく覚えていません。
問 部屋というのは、どこの部屋と話したわけですか。
答 被告人家の部屋です。
問 被告人の父親が経営する病院の看護婦寮の最上階の客室でということではなかったですか。
答 はい。そういうふうにお話しした覚えはありますが、正直にいうと、そのときに、本当にもらっていたのかどうかというのがよく分からないというか、思い出せないというか、はっきり言えないというか、多分そうじゃないか、分かりません。」
「弁護人 問 マージャンし終わってからコカインをもらったという記憶は、はっきりしないわけですね。
甲 答 はい。」
ところで、一回目の譲り渡しは、甲にとっては日本における被告人からの初めての譲り渡しであり、また、甲供述によると昭和五八年の夏のニューヨークにおけるコカインの使用以来、実に七、八年ぶりでのコカインの入手になることからすると、当然その時の状況については強い印象を持って覚えていてしかるべきである。
それにもかかわらず、一回目の譲り渡しについて述べる右甲供述は、まずその時期について仮に何年も経っているのであれば時期が曖昧になることについてやむを得ないとしても、本件ではその供述時を基準にして前年のことか二年前のことかについてすら特定できない上、何よりも譲り渡しの状況について何ら具体的な供述がないのであって、そこから心証を得ることはおよそ不可能なものであると言える。
よって、甲供述にいう一回目の譲り渡しはこれを認めることはできないわけであるが、以下、念のため、被告人が、平成二年二月又は平成三年二月に豊橋の実家に戻っているか等について付言しておく。
(2) 被告人が、平成二月二月に、豊橋の実家に戻っているかについて
<証拠略>によれば、被告人は、平成二年二月一日から一三日までの間、及び、同月一七日から二四日までの間はニューヨークに出国しており、豊橋の実家には戻っていないことが認められる。
さらに<証拠略>を総合すると、平成二年二月一六日には、被告人の母は被告人の居所を把握していないこと、同月二四日、被告人は、被告人の両親と東京の赤坂プリンスホテルにおいて一緒に泊まり、翌二五日は同ホテル内の中華料理店で一緒に食事をした後、被告人の両親のみが新幹線で豊橋に帰り、同日夜、被告人は同ホテルに更に宿泊していることが認められ、また、その後も同月は被告人が豊橋の実家に帰っていない可能性が高い。
(3) 被告人が、平成三年二月に、豊橋の実家に戻っているかについて
この点、二月のカレンダー記載のメモ(<証拠番号略>)によれば、平成三年二月七日ないし九日にかけて被告人が豊橋に来た旨の記載があること、七日の欄には数人来客の記載があるもののそこには甲の名前は記載されていないこと、同月のカレンダーにはその他に被告人に関する記載はなく、また甲に関する記載は一切ないことが認められる。そして、被告人の母の当公判廷における供述(第六回公判期日におけるもの)によると、右カレンダーは「いつもと変わったことがあったときにちょっと何かメモしておくという感じです。」と述べており、被告人が実家に帰ってくることや、甲が訪ねてくることはそう度々あることではないことを考えると、平成三年二月に甲が豊橋の被告人家に来た事実はなく、被告人も七日から九日にかけてを除けば、同月中に豊橋の実家には戻っておらず、被告人と甲は会っていない可能性が高い。
もっとも、甲の司法警察員に対する供述調書(<証拠番号略>)によると、甲が被告人の父親が経営する病院の看護婦寮の最上階の客室にマージャン卓があることを知っていること、前記被告人の母の供述において、同女は、全自動のマージャンの設備(看護婦寮の最上階の客室にあるマージャン卓)を使って甲がマージャンをしたことがあるかの問いに対し覚えていませんと述べ明確な否定はしていないこと、被告人の検察官に対する供述調書(<証拠番号略>)にも、平成三年二月ころ、病院の看護婦寮で、甲先生を交えて、父らとマージャンをし、その後、被告人と甲が二人で泊まったとする供述があることからすると、その時期を正確に特定できないまでも、甲が同所において被告人を含む被告人家の人たちとマージャンをしたことがあるのではないかと疑いは残るものと言える。しかしながら、そもそも(1)で述べたように、甲供述は、マージャンをしおわってからコカインをもらったという記憶自体はっきりしないと述べている以上、右疑いが、豊橋の被告人家におけるコカインの譲り渡しと結び付くものではない。
(4) 本件コカインが入っていた瓶について
甲は本件コカインが入っていた瓶について、平成二年か三年の二月に、被告人からコカインを譲り受けた際にコカインが入っていた瓶である旨供述しているので、本件瓶の裏付けについて、便宜ここで検討する。
<証拠略>によれば、本件瓶は武藤化学薬品株式会社の製品であるY・M式喀痰検査の粘液溶解剤の容器であり、薬品・医療関係者以外には手に入りにくいものであることが認められる。そして、甲が薬品・医療関係者でないのに比し、被告人の父が愛知県豊橋市においてT泌尿器科医院を経営していることからすると、本件瓶と同種の物が右T泌尿器科医院で使用された事実があれば、右瓶は本件コカインの譲り渡し人が被告人であることと強く結び付くものであるといえるが、<証拠略>によると、T泌尿器科医院において本件瓶と同種の瓶は発見されなかったこと、被告人の父も同種の瓶を使用したことがない旨述べ、豊橋市医師会臨床検査センターに対する捜査においても同センターでは蓄痰方式による検査を始めた昭和五六年以降現在に至るまで同種の瓶を使用した事実はないことが認められるのであって、本件瓶はT泌尿器科医院に存在していたものとは認められない。そうすると、本件瓶が薬品・医療関係者以外には手に入りにくいものであることをもって、甲に本件コカインを譲渡した犯人が被告人であると結び付けることはできないことになる。
(5) 結局、甲供述にいう一回目の譲り渡しは、そもそもの供述自体に具体性がない上、その譲り渡しがあったとされる時期に、被告人がその場所にいたことについての疑問がある以上、これを認定することはできない。
(二) 二回目の譲り渡しについて
甲供述によると、日本における被告人からの二回目の譲り渡しは、平成三年六月半ばのことで、被告人が宅急便で送ってきたカセットテープのケース内に、同テープとともにコカインが入っていた。ケースは透明なものであったとする。
そこで検討するに、証人Iは当公判廷において、被告人から、被告人の実家の方である愛知県に住んでいる被告人の友達(名前は覚えていない。)がアマチュアのテープを欲しいと言っているから、テープを送ってくれるように頼まれ、一度だけ平成三年の六月の六日か七日ころ、同女の勤める株式会社Sにあるウィズキッズというアマチュアアーティストのプロモーション用のカセットテープ一個を透明なケースに入れ、それをエアパック付きの封筒に入れて送った。その際は自らテープは爪を取るなどしてからケースに入れ、それを封筒に入れて封をした。発送も自分がした。カセットケースの中に、ビニール袋に入った白い粉末などは見たことはなかった。送り先の住所は、メモを渡されたと思う旨供述しており、右供述によると、被告人が右カセットテープを送るに際し、カセットケースの中にコカインを入れる余地は皆無であると言える。
そして、同証人は被告人とは何度か食事に言ったことがある程度の関係で平成三年に被告人と会ったことも三回程というのであり、被告人との間に特に個人的な付き合いはない女性であること、その供述内容にも何ら不自然不合理な点はないことからすると、その供述の信用性は高いものと考えられる。
さらに、被告人も、平成三年六月ころにSの事務員Iに対し、田舎の遠い親戚の甲さんという人がテープを送ってくれと言っているのでどんなテープでもいいからサンプルテープを送ってくれるように頼み、甲の住所・氏名をメモ書きしたものを渡して、カセットテープを送ってもらった。梱包とか発送はIさんがしていると供述しているところ、右趣旨の供述は、捜査段階(<証拠番号略>)の時点からすでになされているものであり、供述内容も、前記のI供述と一致していることが認められる。
そうすると、平成三年六月ころ、被告人がSの事務員Iを介して、甲に送ったカセットテープのケースにはコカインは入っていなかったことが認められる。
なお、検察官は、I供述が真実であるとしても、被告人が事情の知らない第三者を介してコカインを送ることがあろうはずのないことは常識から考えて当然のことであるから、甲の供述するコカイン入りのテープは被告人が甲に直接送ったものであり、I供述にあるテープは被告人が同女を介して甲以外の者に送ったものである別のテープである旨主張するところ、確かにテープに吹き込まれていた歌手について甲が供述するところはハタナカ某という歌手であったと思うというものであるなどの違いはあるものの、その郵送の時期、郵送物の内容、郵送先が被告人の実家の方である愛知県であることなどがすべて一致していることに照らせば、同女が甲にテープを送ったと考えるのが自然であり、全く別のテープの存在をいう検察官の主張は、憶測の域を出ないものと言わざるをえない。
結局、甲供述にいう二回目の譲り渡しも認められない。
(三) 三回目の譲り渡しについて
甲供述によると、日本における被告人からの三回目の譲り渡しは、平成四年の元旦に、被告人とともに甲が借りていた南設楽郡鳳来町の借家に行った際に、コカインを譲り受けたというものであるところ、被告人はその時、甲とともに甲が借りていた借家に行ったことは認めるものの、コカインの譲り渡しの事実はなかったと供述しているところであって、三回目の譲り渡しに関する証拠状況は、特に甲供述を裏付けるような証拠も否定する証拠もなくいわゆる水掛け論の状況であると言える。
(四) 以上の検討によれば、甲の供述する三回の譲り渡しについては、いずれもこれを認めるに充分でないわけであるが、更に付言するに、このうち第二回目の譲り渡しが認められないことは特に重要な意味をもつものと思われる。
すなわち、仮に、本件公訴事実が虚偽であり、甲が本件公訴事実に真実味を持たせるために過去にも被告人からのコカインの譲り渡しがあったとする虚偽の事実を述べようとする場合には、甲としては、実際には被告人と会っていない全く虚構の機会にコカインを譲り受けた旨を供述するはずはなく、実際に被告人と会ったとき(会ったと記憶しているとき)や被告人からの郵便物を受け取ったときなど、コカインの譲渡が可能な機会にそれがあった旨述べるであろうと考えられるところ(そうでなければ被告人と甲が日常的に会う関係にない以上、供述の虚偽性が簡単に見破られてしまう。)、二回目の譲り渡しの事実において、平成三年六月ころ、被告人から甲に対しカセットテープの郵送が行われたが、その中にコカインは入っていなかったことは、まさに、甲が、そのころ被告人からカセットテープを送ってもらった事実があったことからその機会にコカインの譲り渡しが行われたとする虚偽の事実を創作したことを意味するからである。
そして、二回目の譲り渡しにおいてこのように虚偽の事実の創作といった疑いが生じる以上、他の二回の譲り渡しもまた同様な疑いを差し挾まざるを得ないことになる。
4 甲の薬物に対する親和性ないし甲が被告人以外からコカインを手に入れる可能性があるかについて
甲供述では、昭和五八年の海外旅行の際、外国で薬物を使用したことを別にすれば、被告人からコカインを譲り受けたことがあるだけであるとしており、他者からコカイン等の薬物を譲り受けるなどして使用したことはなく、したがって薬物に対する親和性も否定する。
(一) この点について、被告人は、おおよそ以下のような供述をしている。
(1) 昭和五七年ころ、甲が、豊川の実家で大麻を吸っているのを見たことがある(<証拠略>)。
(2) 昭和五七年、被告人が渡米する前に、甲は、第三書館出版のマリファナハイ、マリファナナウ(マリファナナン)、チョコレートハイという麻薬の本を私にくれて読めと言い、また、アメリカで出版されているハイ・タイムスという麻薬の本が東京にないか調べてくれと言った。
私は「いいよ、いいよ。」と返事しただけで捜したりはしませんでした(<証拠略>)。
(3) 昭和五九年か六〇年頃、豊橋市内で先生に会った時、先生は愛知大学の同級生と鳥のえさの大麻の実から大麻を育てている。麻の実の皮を吸っているという話をしてくれた(<証拠略>)。
Aさんと大麻を一緒に栽培してて、矢作川のところにその種をまいて栽培するっていう話を聞いた(<証拠略>)。
(4) 昭和五九年か六〇年ころ、先生の豊川の自宅で先生から「アムステルダムに知人がいる。この人から段ボールの紙片のくり抜いたものに大麻等を隠し入れ、これをボール紙とアルミハクでくるみ封筒に入れて送ってもらっている。被告人おまえもアメリカから麻薬を入手する場合、この方法でやればいいよ、また、この方法で送ってくれ。」とか話してくれたことがありました(<証拠番号略>)。
アムステルダムにいるヨーゴさんから郵便でいつも薬物を受け取っているが、回数が少ないから、被告人がアメリカに行ったときにおなじようにして送ってくれと頼まれて、そのパッケージなんかも全部見せられたことがある。その方法は、段ボール箱を封筒と同じ大きさに切って、その中に回りに縁、二センチメートルぐらいの縁にして、真ん中をくりぬいて、両側をボール紙に挾んで、中にできる薄い空間をアルミ箔で包むもので、甲からそれで入れて送ってくれと言われた(<証拠略>)。
(5) 昭和六三年か平成元年頃、先生がハワイ旅行をした帰りに覚せい剤が混入しているヴィックスインヘラーという鼻の薬を買って帰りその内の一本を土産にくれたことがありました(<証拠略>)。
甲はケースごとまるまる持ってて、「こんなもの持ってて、これ日本でいけないんじゃないの」って言ったら、そしたら、僕は絶対、自分の子供をパスポートにいっしょに写真に併記しているから、絶対に捕まらないから大丈夫なんだという話をしてくれて、それで、「お土産だ」って言って、「いいから一個持って行け。」と言って、くれました。甲はヴィックス・インヘラーに覚せい剤が入っていること、日本でそれは禁止されてたことを知っていた。もらったヴィックス・インヘラーは捨てた。捨てた理由は、もしヴィックス・インヘラーをやりたいと思ったら、海外に行ってやればいいし、わざわざ日本に来てまで、いけないといってることをやる必要というのは全然ないと思ったから。甲はヴィックス・インヘラーの使用の仕方について、普通は鼻に入れて吸うと、メンソーレのにおいが体の中に入っていって、それを二回か三回しかやらないでくださいって書いてあるんですけど、甲はそれを三〇分ぐらいずっと鼻に差しっぱなしにして、そうすると、薬効があるという話をしてくれた(<証拠略>)。
(6) 平成二年ころ、先生と話をしている時、ニューヨークの話になり、先生はニューヨークにラクトースという砂糖がコカインの増量剤として売られていただろう。学校の理科の教材として手に入るから入ったら送るよと言われていて、その年のいつだったかビニール袋か何かに入れた状態で送ってくれた事があります(<証拠番号略>)。
甲先生からコカインの増量剤に使う、ラクトースという砂糖が学校の教材として手に入ったから送るねと言われビニール袋か何かに入れた状態で送ってくれたことがある。そのラクトースは捨ててしまった(<証拠番号略>)。
(7) 平成三年二月にもそのようなこと(甲からコカイン等を送ってくれと頼まれること)があった。現在の住居に入居するために実家の家に置いている荷物を取りにかえり、この時、私、先生は両親を含めてT泌尿器科医院の看護寮で麻雀をし、その後先生と二人きりになった時、先生からいつものようにコカインとか大麻何でもいい送ってくれと言われた。このときにも、いいよ。今度絶対に送るからと答えておいた(<証拠番号略>)。
(8) 平成三年五月末、豊橋の実家に帰ったときのことでした。この時、甲先生に会った時、先生から、いつものように、大麻でも、コカインでもLSDでも何でもいい、送ってくれ。と言われ、また、住所は鳳来町に引っ越したということで、その確認の為に、甲先生から、宛先は白紙の先生の転勤あいさつ文の葉書を受け取ったのです。その葉書は警察の求めに応じて差し出しているとおりです(<証拠番号略>)。
(9) 平成四年一月一日先生の海老の家に行った時、五、六センチ四方の小分けしたビニール袋入りのラクトース一〇袋を、コカインの増量剤にするとよいと言われて受け取った(<証拠番号略>)。
昨年一二月三一日から正月にかけて先生の海老の家に行き、この時、先生からコカイン送ってくれと頼まれ、私はいいよ、いいよと適当な返事をした事は間違ありませんが、いい子ぶってそのように答えただけで、実際にはコカインを甲先生に送ったことはありません(<証拠番号略>)。
(ラクトースは)、勉強机の上にプラスチックの白い、高さ三〇センチぐらいで、直径一〇センチぐらいの螢光灯の電気みたいな白い色をした、円筒形の入れ物で、えんじ色のキャップの容器に半分くらい入ってた。同じときに、小さなビニール袋で、指で押して封ができるようなものをたくさん彼が持ってきて、大きい袋に小分けしたラクトースがたくさん入っていた。コカインの増量剤として使えるから持っていけと言った。一〇袋だったと思うんですけれども、それで角が立つのもなんだし、それで少しでいいと言って一〇個もらってきました。それは捨てた(<証拠番号略>)。
(10) 平成四年一月一日先生の奥さんと奥さんの実家へ送り届けその帰りにたばこやめたいがたばこの代わりにコカインがあったらやめやすい。アメリカからコカインを送ってくれよとしつこく言われ、これに対し、私はその場限りの返事でわかった、いいよ、送ってあげるから、たばこやめてねと答えている。これに対し、先生はコカインが先だぞ、コカインが届いたらやめるからなといっていました(<証拠番号略>)。
(11) マイアミっていう飲み屋さんで(薬物が)手に入ると甲から聞いた(<証拠略>)。
(12) こういったこと(コカイン等を送ってくれと言われたこと)は、これまで六〜七回位あり、会った時全部ではありませんが、会えばほとんど「コカインを送ってくれ、アメリカから送ってくれ。」としつこく私に言い続け、これに対し、私はいいよいいよと返事をしている。平成三年五月末ころにもある(<証拠番号略>)。
実際に送ったり、譲り渡したりしなかったのは、実際に送ってばれたら私も甲先生も困ると思ったからである。(ことわりの言葉を)はっきり甲に言わないのは、非難めいたことを言っていい子ぶることができなかったから(<証拠略>)。
このように先生は、コカイン等の麻薬を欲しがっていた人に間違いないのです(<証拠番号略>)。
(二) これら甲が薬物を入手し、あるいは使用し、または、被告人に送ってくれるように要求していたとする被告人の供述を見るに、右(7)の事実については、被告人は公判段階で、この点は捜査官から甲がこういっているから間違いないと言われて無理やり記載されたものであるとして、平成三年二月に、甲とT泌尿器科医院の看護婦寮で麻雀をした事実を否定している他は、ほぼ捜査段階から一貫した供述であり、かつ、極めて具体的かつ詳細な供述であると言える。
(三) そこで、さらに、これらの被告人の供述の信用性について検討してみることにする。
(1) (一)(2)の甲が、被告人の渡米前に本を渡した事実については、甲は「昭和五七年ごろに、被告人に麻薬に関する本二冊をあげたかもしれません。あげなかったかもしれません。」と述べ明確な否定をしていない。
(2) (一)(3)の大学時代の友人のAなる人物と大麻を育てている事実については、甲は、実際、Aという友人がおり、昭和五八年か五九年ころ被告人に「自分の同級生でAというのがおってその人の話では日本でも簡単に大麻が栽培できると言っていた。」という話をしたことを認めている(<証拠略>)。
(3) (一)(4)の甲はアムステルダムにいるヨーゴという友達から薬物を送ってもらっており、その郵送の方法を教えられたという事実については、甲供述は、「被告人に対して、外国から薬物を送る方法を教えたことがありますか。」との問いに対し、「話したことがあるのかも知れない。話したことがないのかもしれない。覚えていません。」と述べて薬物を送る方法を教えたことを必ずしも否定せず、甲の司法警察員に対する供述調書(<証拠番号略>)においては、本で読んで知っていたアルミホイルで大麻を包んで輸入すればX線に写らずすむので送れる等と被告人に言ったことを認めている。
さらに、ヨーゴという人物のことについて、甲供述は、「アムステルダムにヨーゴヒデアキという友達がいる。ヒデは秀。ヨーゴは余る、だったとおもうが自信がない。それと言語の語。非常に自信がない。」と述べ、ヨーゴの字について曖昧な供述をしているが、甲の司法警察員に対する供述調書(<証拠番号略>)には、余合秀則というふうに漢字で記されていること(余合というのはさして多い名字と思われないのであって捜査官が勝手にその漢字を当てるとは考えがたい)からすると、甲はヨーゴの字を知っているものと考えられるのであって、そうすると右の甲供述は、ヨーゴとの関係を故意に薄いものと印象づけようとしている疑いがある。
(4) (一)(5)のヴィックスインヘラーの点について
まず、<証拠略>によれば、甲は平成元年一二月二四日から同月二九日までホノルルに行った際に、ヴィックスインヘラーを購入したことが認められる。
ところで、甲供述は、覚せい剤の成分が入っていることを知らず、自分が鼻炎のためヴィックスインヘラーを二、三本購入した。使用したが覚せい剤としての効果はなかった。ヴィックスインヘラーを被告人にあげたことはない旨供述する。
しかしながら、海外旅行に行った際わざわざ鼻薬を購入するというのは不自然である上、<証拠略>によれば、ヴィックスインヘラーには覚せい剤の成分があるため日本に持ち込まないようにとの記載があるパンフレットが空港税関などに置かれ旅行者は自由にそれを見られることが認められる。そして、被告人が甲がヴィックスインヘラーを海外旅行に行った際購入してきたことを知っている(被告人は捜査段階から、すなわち甲の供述調書の内容などを知る前からこの点について述べている)ことを併せ考えると、甲が、ヴィックスインヘラーに覚せい剤の成分があることを知って購入し、そのうちの一本をおみやげとして被告人に渡したとする被告人の供述の方が自然で信用性の高いものと認められる。
そして、甲がこのように覚せい剤の成分があるヴィックスインヘラーを自ら購入し、かつ、本件逮捕時それを所持していたことから明らかなように旅行の際も持ち歩いていることは甲の薬物に対する親和性を強く窺わせるものでもある。
(5) (一)(6)(9)の甲は多量のラクトース(甲の供述調書中ではきめのこまかい砂糖)及び小分けに使用できる多数のビニール袋を所持しているとの事実について
ラクトースはコカインの増量剤として使いうるものであり、本件コカインも約26.2パーセントの乳糖(ラクトース)が混ぜられていること(K鑑定)からすると、多量のラクトースを所持している事実はコカインを常習的に所持し、また、本件コカインと関係があるのではないかとの疑いを生じさせるものと言える。
この点について、甲供述は、大量のラクトースを持っていたことを認め、これは理科の実験用に購入したものとし、甲の司法警察員に対する供述調書<証拠番号略>においても、昭和六三年ころ、生徒の理科の溶解実験に使うためにラクトースやビニール袋五〇〇枚を購入し、平成元年ころ、被告人から「砂糖の細かいのある」と言われて手の平に一杯の砂糖を渡したと述べ、ラクトース等の購入理由を生徒の理科の実験用と供述している。
しかしながら、<証拠略>によれば、甲は豊川市立S中学校に在職した昭和五八年四月一日から平成三年三月三一日までの八年間、理科の授業、実験を担当したことはないことが認められるのであって、甲の述べるラクトース等の購入理由は明らかに虚偽である。そして、甲供述でも、S中学の理科の実験に使ったという調書は誤りである旨自認している。
そうすると、翻って、ラクトース等の購入はコカインの増量剤とするための購入ではなかったかとの疑念が生じるのはやむを得ないところである。
(6) (一)(11)のマイアミという店について、甲は年に一、二度出入りしていることを認めている。また、少なくとも甲の供述調書の中にはマイアミについての記載はなく、甲の当公判廷における供述において弁護人の反対尋問の中で初めてマイアミの店名が出ていることからすると、かつて甲が被告人にマイアミという店について話をしたことがあるものと考えられる。
(四) このようにみてくると、甲のコカイン等の薬物との親和性や他者からの薬物の購入の可能性を窺わせる事実を述べる被告人の供述については、甲が部分的に認めている点や明確には否定しない点が多々存し、また、ヴィックスインヘラーやラクトースの購入目的に関する供述のように被告人の供述と甲の供述を比較した場合、むしろ、被告人供述の方が信用性が高いと見られる部分も存するものと言える。
そうすると、甲のコカイン等の薬物との親和性や他者からの薬物の購入の可能性を窺わせる被告人供述を一概に虚偽であると決めつけることは困難であると思われる。
5 甲に虚偽の供述をして被告人を罪に陥れる可能性があるかについて
被告人の供述によると、被告人は甲からコカインの薬物の入手を何度も頼まれていながら実際には全くコカインの入手に尽力していなかった人物であり、その意味では被告人に対し甲が不快感やあるいは薬物の入手という点で役に立たない人物であるという感情を抱く可能性があることからすると、右感情から甲において虚偽の供述をする可能性がないとは言えない。また、被告人は海外ではあるが実際にコカインを使用したことがある人物である上、甲の逮捕当日及び前日において甲と一緒に行動していたものであり、仮に譲渡人が誰かについて虚偽の供述をする場合には、被告人はまさに最適の人物であるとも言える。
なお、検察官は、甲が被告人を罪に陥れてまで守らなければならない人物は証拠上認められないことを指摘するが、反面、そのような人物の存在を特定することは甲と行動を共にすることが殆どない被告人にとってはおよそ不可能な立証活動を強いるものであり、むしろ、本件では、甲の薬物使用に関係すると見られる人物や店の名前をそれなりに具体的に出しており、甲自身がそれらの人物と交友があり、あるいは、その店に出入りしたことがある旨を認めていることの方が、甲が第三者を庇うことの可能性を検討する際には無視しえないことであると言わなければならない。
6 その他の問題
(1) 重曹の所持について
<証拠略>によれば、被告人は、平成四年二月一三日、被告人の自宅において、カプセルに入った炭酸水素ナトリウム(重曹)やクエン酸を所持していたこと、コカイン塩酸塩に重曹を加えて調合すれば、薬効のより強いクラックを製造できることが認められる。
しかしながら、本件コカインはクラックではないこと、被告人宅においてクラックの精製容器や吸引器具が存したとする証拠もないこと、被告人によれば、被告人は重曹を胃の働きを助けるために使用していた(<証拠番号略>)というのであるところ、<証拠略>によれば、重曹は胃酸を中和する働きがあるというのであるから右被告人供述を一概に虚偽であるとは言えないことからすると、被告人が重曹を所持していたという事実は、本件公訴事実を推認するものとは言いがたい。
(2) アメリカでのコカインの使用について
被告人は、アメリカでのコカインの使用を認め、また、前記のとおり、昭和五八年の夏、ニューヨークにおいて甲とコカインを使用したことを認めている。しかしながら、甲との使用は約九年前での海外での使用であり、また、海外においてコカインを使用したとしても、日本国内においてはそれを控えるということは必ずしも不自然なことではないから、被告人のアメリカでのコカイン使用の事実が、日本国内での犯罪である本件公訴事実を推認するものとも言いがたい。
四 まとめ
以上、検討したことによると、被告人からコカインを譲り受けたとする甲供述には、不自然・不合理な点が多々存すること、捜査段階の供述と重要な点で変遷していること、また、被告人から過去三回にわたりコカインを譲り受けたとする事実も虚偽の可能性が高いものであることが認められるのであって、これに被告人が本件犯行を終始一貫して否認するとともに甲の薬物に対する親和性や他からの薬物の入手の可能性について具体的に供述しそれを一概に虚偽であるとも言いがたいことを併せ考えると、甲と被告人の両者の供述について、甲供述の信用性を高く評価し、逆に被告人の詳細な供述を全く虚偽であるとしてこれを一蹴することはできないものと考えられる。
結局、甲供述は、松山において本件コカインを被告人から譲り受けたとするその基本的部分において信用できないものと言わざるを得ず、甲が他者から入手した本件コカインを自ら松山に持込み使用していた疑いを払拭することはできないから、本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰着する。
よって、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の判決をする。
(裁判官浦島高広)